2010年07月23日
南観音山です。
俗に「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性なので、南では宵山の夜更けに翌日の巡行の無事を祈って“あばれ観音”の行をされる」といういい伝えがあり、「あばれ観音」の別名があります。
伯牙山です。
中国・周時代の琴の名人伯牙が,友人,鍾子期(しょうしき)の訃報を聞いて,悲しみのため琴の弦を断ったという故事に由来します。
白楽天山です。
日本で人気の高い中唐の詩人白楽天が、松の老木で暮らす名僧・道林禅師に仏法の大意を問い、徳を悟って礼拝したという故事が山のいわれだそうです。
函谷鉾です。
中国戦国時代、斉の孟嘗君は秦の昭王に招かれ、宰相に重用された。しかし讒言によって咸陽を脱出して、函谷関まで逃げたが、関の門は鶏が鳴かねば開かない。配下が鶏の鳴き声をまねたところ、あたりの鶏が和して刻をつくったので見事通り抜けたという、中国古代史話、孟嘗君の故事に基づきます。
八幡山です。
スサノヲノミコト(素戔鳴尊)が南海に旅をされた時、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来は粟で作った食事で厚くもてなしました。
蘇民将来の真心を喜ばれたスサノヲノミコトは、疫病流行の際「蘇民将来之子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束されたという故事にちなんでいます。
保昌山です。
以前は“花盗人山”(はなぬすびとやま)と呼ばれており,丹後守平井保昌(たんごのかみひらいやすまさ)と和泉式部(いずみしきぶ)の恋物語に取材する山です。
放下鉾です。
真木の中ほどの“天王座”に放下僧(ほうげそう)の像を祀ることに由来します。
放下(ほうげ)とは,妄念や者への執着を捨てて俗世間を解脱することで,放下僧は街角で芸をしながら仏法を説いた僧のことです。
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