清水寺の桜

2011年04月12日

4月12日

ご存じ、京都といえば清水寺。

外すことはできませんね。

桜の咲く頃をご紹介しましょう。

清水寺は北法相宗の総本山。山号は音羽山で十一面千手観音がご本尊です。

世界遺産に登録されています。

778年、奈良小島寺の賢心、後の延鎮上人によって開創されました。

「木津川の北流に清泉を求めて行け」という霊夢を受け、翌朝夢に従い清泉を求めて歩いて行くと音羽山ろくにある滝にたどり着きました。

そこで修行をしていた行叡居士に授かった霊木で観音菩薩を彫り、観音霊地の山を守っていました。

 

この音羽の滝は三つに分かれていますが、それぞれに意味があるそうです。

三つの瀧の霊水には、学問、健康、縁結びのご利益があるといわれていますが、長い歴史の間には、たくさんの説や意味が生まれ、それぞれの時代で篤く信仰されてきました。

古くは菩薩さまの「功徳水」、心身を清める「金色水」、長寿の「延命水」として。江戸時代には仏教の教えを含んだ解説もよく用いられ、「仏・法・僧 の三宝への帰依」「三大煩悩といわれる貪欲・瞋恚(怒りやうらみ)・愚痴(真実に対して無知であること)の浄化」「人間の根本的な三つの行為、身(行 動)・口(言葉)・意(こころ)の清浄」などが代表的です。さらに『観音霊場記図会(かんのんれいじょうきずえ)』には「中は利得、右は智慧、左は慈悲。 観音の三体とす」という記述も残っています。

 

その二年後の780年、鹿狩りに来た坂上田村麻呂が修行中の僧・延鎮に殺生を戒められ、夫人と共に千手観音を造りお堂を建てたそうです。

810年に嵯峨天皇から宸筆(しんぴつ)を賜って鎮護国家の道場となり、「清水寺」を世号としました。

かつては興福寺に属したため、延暦寺との抗争の度に攻撃を受け、たびたび消失しました。

現在の本堂は1633年の再建で国宝です。いわゆる「清水の舞台」です。

 

昔から思い切って決心することを「清水の舞台から飛んだつもりで・・・」といいますが、その語源となったのが、この場所。
錦雲渓(きんうんけい)の急な崖に、最長約12メートルの巨大な欅の柱を並べ、「懸造り」という手法で、釘を一本も使わずに組み上げた木造建築です。
本堂から張り出した「舞台」はちょうど4階建てのビルの高さにあたり、京都市街の眺望が見事。面積は約190平方メートル、410枚以上のヒノキ板を敷き詰めた「桧舞台」です。
この舞台はもともと、御本尊の観音さまに芸能を奉納する場所で、平安時代から雅楽や能、狂言、歌舞伎、相撲など、さまざまな芸能が奉納されてきました。現在でも重要な法会には、舞台奉納が行われます。

1629年9月10日の大火災によって焼失した清水寺を徳川家康が数年で再建し、修理を重ねたものが今の建物なんだそうです。

すでに400年近く経っており、痛みも相当なもの。

そこで平成20年から平成の大改修が行われています。

まだあと数年かかるそうですが、数百年単位での修復が考えられており、将来4、500年後に使うヒノキやケヤキを今植えているそうです。

世界遺産を残すというのはものすごく壮大なプロジェクトですね。

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